『下士官室』
作戦室内部(当時のまま保存されています)
2014.10.23.13:54
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2014.10.23.13:58
『司令官室』内部
『司令官室』入口
2014.10.23.13:53
2014.10.23.13:53
『暗号室』
那覇空港から南東方面へ約5.5km地点の那覇市と豊見城市の境に位置し、1944年(昭和19年) 日本海軍設営隊によって掘削
された全長約450mの司令部壕です。かまぼこ型の横穴をコンクリートと杭木で固め、約4000人の兵士を収容。大東亜戦争末期
の1945年6月、将兵はこの壕で自決を遂げます。その後、遺骨収集が行われ1970年(昭和45年)、司令部を中心に約300m
を復元し一般公開されました。今も手榴弾自決の破片や司令官の愛唱歌が残され、悲惨な戦争の末路を生々しく物語っています。
2014.10.23.13:58
『下士官室』
兵士が立ったまま睡眠をとったとされる部屋
海軍壕公園ビジターセンター
2014.10.23.13:59
2014.10.23.13:57
所在地:沖縄県豊見城市字豊見城
<アドバイス>
・慰霊塔:1958年(昭和33年)に建立。
展望台からは、南部市街の風景や遠く首里城が望めます。
・ビジターセンター:壕内で発見された戦争当時の遺品や戦争関連資料を展示。
・壕内:薄暗い通路が無数に張り巡らされ、迷路のようになっています。
幕僚室,司令室,医療室などが復元展示されています。
・売店:オリジナルTシャツ,文鎮などを販売。
・大田司令官愛唱歌『大君の御はたのもとに死してこそ 人と生まれし甲斐ぞありけり』
・戦後、GHQ(連合国総司令部)の占領政策で『大東亜戦争』→『太平洋戦争』に変更された。
軍国主義・国家主義を連想させるとして禁止された。
・方角で、『南北』を先にするのは西洋,『東西』を先にするのは中国。
・目的地までの距離はナビにて算出した値です。
開館時間 7月~ 9月 8:30~17:30
10月~ 6月 8:30~17:00
※年中無休 ※要確認
入館料金 大 人 440円
小 人 220円
※2015年6月20現在
駐車場 100台(一般車) 無 料
※2015年6月20現在
観光に関する問い合わせ先
沖縄観光コンベンションビューロー(2015年6月24日掲載承認)
〒901-0152 沖縄県那覇市字小禄1831番地1 沖縄産業支援センター2F
TEL:098-859-6123
旧海軍司令部壕事業所(ホームページに記載)
TEL:098-850-4055
2014.10.23.13:57
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2014.10.23.14:10
2014.10.23.14:11
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2014.10.23.14:02
2014.10.23.14:02
作戦室入口
2014.10.23.13:57
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『旧海軍司令部壕』出口
『医療室』
『壕』内部の通路:かまぼこ型の横穴
『壕』内部の通路:かまぼこ型の横穴
『旧海軍司令部壕』入口
『旧海軍司令部壕』への長い階段
『旧海軍司令部壕』入口:海軍壕公園ビジターセンター
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『壕』内部の通路:かまぼこ型の横穴
『壕』内部の通路:かまぼこ型の横穴
海軍壕公園ビジターセンター展示室
海軍壕公園ビジターセンター展示室
海軍戦没者慰霊碑の塔
『幕僚室』手榴弾で自決した時の破片の跡がくっきりと残る
壕内見取図及び順路→
展望台から望む『那覇市街』の風景。遠く首里城まで望む
2014.10.23.13:56
2014.10.23.13:51
『司令官室』:大田実少将幕僚6名が最期を遂げた当時のままの部屋
『旧海軍司令部壕出口』昔の職場の仲間たち
2002.05.20.14:45
『慰霊碑の塔』の裏付近にある展望台入口
『壕』内部の通路:かまぼこ型の横穴が出口へと続く
『信号室』
『司令官室』入口
『司令官室』入口
展示室の階段を下りると『壕』への入口がある
2014.10.23.13:51