2014.10.02.15:15
2014.10.02.15:19
2014.10.02.15:21
2014.10.02.14:55
2014.10.02.14:55
2014.10.02.14:57
2014.10.02.14:50
2014.10.02.14:50
2014.10.02.14:52
巌流島に到着する船
島の最先端(北端)付近の様子
人工海浜から望む小次郎と武蔵の像
人工海浜の伝馬船
↑とどめをささずに船に飛び乗った。負けた小次郎の流派にちなんで『巌流島』と呼ばれるようになった。巌流島案内板より
巌流島から望む下関市街(海峡ゆめタワー)
唐戸港:巌流島への船のりば
人工海浜*
正式名称は船島。『二天記』によると、巳の刻過ぎ武蔵が到着。待ちくたびれた小次郎との間で決闘が始まる。武蔵の木刀は振り下ろされ、↓
森重香代子の歌碑:この島に 二人降り立ち 闘ひし むかしの男 恋ほしかるかな
中国へ戻る
山口へ戻る
2014.10.02.15:52
2014.10.02.15:45
2014.10.02.15:40
2014.10.02.14:54
2014.10.02.14:51
2014.10.02.14:51
小次郎・武蔵像*
*展望広場
中国へ戻る
巌  流  島
2014.10.02.15:00
2014.10.02.14:59
山口へ戻る
下関へ戻る
下関へ戻る
上へ戻る
2014.10.02.15:31
2014.10.02.15:25
2014.10.02.15:21
2014.10.02.14:47
2014.10.02.14:47
2014.10.02.14:34
2014.10.02.14:47
2014.10.02.15:04
2014.10.02.15:03
2014.10.02.15:03
人工海浜から島の最先端への散策路
巌流島到着(左方面へ進む)
*伝馬船
*休憩所
唐戸港到着
巌流島→唐戸港へ 小次郎と武蔵の像が小さく・・・
人工海浜の伝馬船
人工海浜
人工海浜
伝馬船(レプリカ):宮本武蔵が巌流島に乗ってきたと伝えられる船。当時をイメージして設置した。
巌流島 決闘の地 古代伝説
2014.10.02.15:07
2014.10.02.15:05
2014.10.02.15:04
2014.10.02.15:14
2014.10.02.15:12
2014.10.02.15:09
2014.10.02.14:32
2014.10.02.14:25
2014.10.02.14:27
人工海浜付近の様子(釣りデッキ?)
人工海浜の伝馬船
巌流島到着(唐戸港から約10分)
巌流島行きの船(14:39発)
桟橋
*現在地
2014.10.02.14:59
2014.10.02.15:03
2014.10.02.15:02
2014.10.02.15:02
巌流島から望む下関市街
巌流島から望む関門橋
巌流島の由来(下参照)
*佐々木巌流の碑
人工海浜から望む小次郎と武蔵の像
村上元三佐々木小次郎石碑:白い雲のわいている空に、小次郎の面影が・・・以降アドバイス参照
島の最先端(北端)付近の様子
*多目的広場
船のりば付近の唐戸港の様子
船のりば付近の唐戸港の様子
2014.10.02.14:48
2014.10.02.14:48
2014.10.02.14:48
佐々木巌流之碑:1910年(明治43年)建立。開鑿工事完了記念碑 佐々木巌流を偲び手を合わせる方が途絶えません(墓ではありません)
文学碑*
巌流島案内図
2014.10.02.15:00
1612年(慶長17年)4月13日 巳の刻過(10時) 佐々木小次郎宮本武蔵決闘が行われた船島(巌流島
2014.10.02.15:00
2014.10.02.15:01
↑頭上を打った。小次郎もまた太刀を払ったが、武蔵の木刀は小次郎の脇腹に振り下され、勝敗は決した。勝った武蔵も相当慌てていたらしく↓